プロローグ (我が子の個性に気が付く)

「親ばか」とはよく言ったもので、自分の子供の事を客観的に評価することは大変に難しいものです。例えば、お父さんが旧制中学からの歴史を持つ有名高校の卒業生であるとか、お母さんが100年以上の歴史を有する女子高の卒業生であるとか、お父さんもお母さんも大学受験特別クラスを完備した有名私立高校の卒業性であるとか、そんな場合には、自分(自分達)の子供が「勉強ができない子供」であるとは容易に認めることができません。また、お父さんやお母さんが大企業にお勤めの場合、会社を経営している場合、医師、弁護士、会計士、弁理士不動産鑑定士司法書士などを営んでいる場合などには、それを認めることが困難になります。親族に教師や教員がいる家庭でも、それを認めることは困難になります。

小学校で受けたテストの出来が悪かった時には、お父さんは「小学校のテストは問題数が少ないから、1問や2問間違えただけで直ぐに10点くらい減点されてしまうよね。だから、少しくらい点数が悪くても、次に頑張れば問題ないよ」と言って自分(お父さん自身)を納得させます。お母さんは「ケアレスミスが多いせいよ。丁寧にやれば次回は大丈夫」と言って自分(お母さん自身)を納得させます。そして、お父さんもお母さんも「もう少し成長すれば(中学生になれば)、問題を正確に解くことが可能になり、テストの点も向上するだろう」と考え、自分の子供が「勉強ができない子供」であることを認めようとはしません。

ここで、子供が中学受験を志す環境に置かれていれば、もっと早くに「それ」に気が付くことができたのかもしれません。しかし、牧歌的な田舎の公立の小学校に通っている場合などには、なかなか「それ」に気が付くことはできません。例えば、子供のテストの点数が悪いながらも平均点を上回っているような場合には、毎日勉強を教えている担任の先生であっても「それ」に気が付かないかもしれません。また、担任の先生が「それ」に気が付いたとしても、子供に授業の流れを中断してしまうような素行がなければ、「それ」に対する懸念を親に申告することはないでしょう。


「それ」とは、子供が「勉強をすることが苦手な個性を備えている」という事です。

「親ばか」とはよく言ったもので、私(達)は、子供が中学生になるまでの12年間も「それ」に気が付きませんでした。気が付かないばかりではなく、逆に「勉強が得意な子供」であるとばかり思っていました。子供にとって一番身近で信頼できる存在であるはずの親が、12年間も子供の個性を認めることができなかっただなんて、とても悲しいことです。

そして、「それ」に気が付いたときに、勉強をすることが苦手な我が子が、人並みの評価を受けるために、毎日、たいへんな苦労(努力)をしているということも知りました。私(達)は、今、子供の個性を認めた上で、この愛する子供をどのようにサポートしていけば良いかを考えています。そして、日々、試行錯誤を繰り返しています。